これからワークショップに行ってきます

私の友人である大学の先生が昨年「エコロジカル・デモクラシー財団」を立ち上げました。
「エコロジカル・デモクラシー」とは、エコロジー(自然)とデモクラシー(社会)を連関させ、一緒に考え、現実のまちづくりや地域づくりを実践していくことを目的にしています。
 
その財団の事業でRandolhp. T. Hester著「Design for Ecological Democracy」をその先生と読むという講座があります(有料)。
 
約5カ月にわたって、毎週送られてくる日本語訳を読んで、その感想をメールで送ると、それについてのコメントがもらえます。途中、イランの出張もあり、かなり大変な講座でしたが先日、無事修了することができました。
 
後で自分の感想を読み直すと、あれ、こんなこと書いたんだ、という文章に出くわします。自分で言うのも変ですが、面白いのです。内容自体は自分で書いたことですから同意できることではあるのですが、いつも感じていることを「表現する」という行為によって、バラバラで漠然とした「思い」が同じ舞台に現れるのです。
 
「おお、君はこんなところで顔をだすのね。」と、知っている俳優が下手から現れてきて台詞を語り出すような感じです。相手役は、本の文章だったり、先生のコメントだったり、他の講座受講者の感想だったりします。相手の台詞にどう応えるか。自分が持っている語彙を総動員し、組み合わせて即興で対応します。でもそこで出てきた言葉は、自分が考えていたこと以上だったりします。
 
本を読んで、誰かが読むことを想定して感想を書き、そのコメントを確認して次の文章を読む。途中には同じ講座に参加している人との交流会もあります。このような過程で、自分でも思わぬ文章を書くことがあるのです。この歳になっても変化することがあるとわかります。
 
このようなプロセスそのものが「議論」であると実感しました。
 
今日はこれから世田谷区でユニバーサルデザイン意見交換会です。
ワールドカフェという方式で、初めて会う方々とも意見交換をします。
短い時間ですが、また新たな体験が待っているかもしれません。ワークショップは、仕事としてはいつも緊張します。それは「即興劇」のように、自分の力量が如実に表れるからだと思います。そして少し楽しみでもあるのはその中での「自分の変化」というものを期待しているからなのだと思います。