人と会うということ

その昔、自分のコミュニティ以外の人と会う、ということは、特別なことだったかもしれない。

縄文の昔から日本列島では広く交易があったといわれているが、自分が通常暮らしている人と違うグループの人と会うということは、かなりイベント的なことだったのではなかろうか。

文字がやりとりされるようになって、文(ふみ)が届けられるようになっても基本はあまり変わらない。
長い平和を背景に、人々の往来が安全にできるようになった江戸時代末期でも、人との出会いは特別なことだ。
本居宣長賀茂真淵の生涯でたった一度だけの出会い「松坂の一夜」は宣長の人生を変えた。

人の往来は交通網の発達でさらに自由になり、人と人が会うことが当たり前の世の中になっている。
電信から電話へ、そしてインターネットへの変化は、人と人を簡単につなぎ、その距離がなんだか近くなったように感じているが本当だろうか。

今回の新型コロナ騒ぎで、人と会うことをできるだけ避けましょう、と言われている。
ワークショップや会合はのきなみ中止で、まちづくりの仕事をしている身では、やることがない。

しかし、社会全体が機能不全におちいり、パニックになりそうな中で、改めて「人と会うこと」ということを真剣に考える機会になっているように思う。

つまり、人との出会いは、本当に大切な事に絞ってもなんとかなるのかもしれない、とあらためて思い始めている。
毎週のようにどこかでイベントが開催され、人が集まって何かを語りあい、情報交換をして知ったような気持ちになる。そして、テレワークとか、ネット会議とかいろいろあって、SNS上で何百人も「友だち」がいる。
昔、友だちは、数人、多い人でも十数人だったような気がする。

直接人と会う大切さというのは、一期一会、大切な人と大切な時間を過ごし、その瞬間の出会いで得られたことを大切にすることだ。
決して交流が(そしてイベントやワークショップが)不要だと言っているのではない。人と会って過ごす時間のかけがえのなさを、もっとかみしめた方が良いのではないだろうか、ということが言いたかったのである。

もちろん、ワークショップがなくなるとプレイスはとても困ったことになるし、感染した人の快復と、社会の通常化を願うのは当然である。誤解のないように書き添えておきます。

(fuku)