イラン日記4 Youは何しにイランまで? 

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201905 パシャイさん

これまでのイラン訪問は、「NPO法人イランの障害者を支援するミントの会」の依頼で行かせてもらっています。
このNPOの代表を務めるパシャイさんは、まだ40代半ばの男性です。
シルベスタースタローン似のイケメンです。顔の彫りが深すぎて怖面にも見えますが、
日本語でジョークを飛ばすユーモアと知恵、そしてバイタリティ溢れる人です。
(因みに、映画「男はつらいよ」が大好きで、全DVDを持っているとのこと)。

パシャイさんは、イランイラク戦争の兵役を終えて、来日しました。
時は90年代のバブル、土木関係の仕事について、10年以上真面目に働いたそうです。
「そろそろイランに帰ろうかな」と思った矢先に、大事故が起きました。
土木工事で操作をしていた重機の下敷きになってしまったのです。
たくさんの輸血をする大手術で、どうにか一命を取り留めましたが、意識が戻った時に知った現実は下半身が全く動かない状態でした。
「異国に来て大変な目にあいましたね。でも、助かった命なのでどうか大切にしてください」と、
執刀した医師が泣きながら伝えた言葉を、今でも覚えているそうです。

退院後、パシャイさんのリハビリが始まるのですが、在宅リハビリを担当した看護師が、NPOの事務局を勤める大澤照枝さんでした。照枝さんは、これまでパシャイさんの思いに寄り添い活動の発展を支えている方です。
パシャイさんの リハビリは進み、車いすを使用すれば、自由に外出ができるようになりました。
そんな折、イランの人たちはどうしているのかが、気になってきたそうです。
イランは交通事故が多く、一方でリハビリが進んでいないので、日本では社会復帰できるような状態でも、イランでは家で寝たきりになってしまうこともあることが分かってきました。
そこで、日本から中古の車いすを送る活動を始め、その後、在宅リハビリを伝えるため日本から看護師や理学療法士を派遣し、寝たきりの状態から、自分で食事や移動ができるにはどうしたらいいかを伝えました。
しかし、まだ移動ができるのは家の中のことでした。そこで、車いすの人がまちを歩けるよう、日本でバリアフリーユニバーサルデザインのまちづくりに取り組んでいる人を派遣しようと、発展してきたそうです。

私が勤務する《場所づくり研究所PLACE》は、住民参加のまちづくりなら、テーマはいろいろ取り組みます。
その中のひとつに、バリアフリーユニバーサルデザインのまちづくりがあり、お声がかかったといういう訳です。

パシャイさんのことは、朝日新聞にも掲載されています。
4人目の紹介:絶望を乗り越え「架け橋」に 
ぜひ読んでください!!
https://globe.asahi.com/article/12434499